私のハナシ②幼稚園の合奏
前回のブログ「私のハナシ」は、生活団(幼稚園の様なところ)の音感教育について書いたのですが、今回は合奏のお話しです。
生活団は、年少〜年長の三年間が基本ですが、私は年中から入りました。通うのは、週1回の「集合日」(朝から夕方)と、前回のブログに書いた「音感」の曜日の週2回でした。
年中組の春から人生初の集団生活がスタート、年少からいる子達の中に放り込まれ?ました。ちょっと変わっていた子だったのか泣いたりわめいたりすることなく何となく集団に入っていきました、が、間もなく始まった集合日の音楽教育が未だに忘れられない事態となります。ある日音楽の時間にカスタネットを持たされます。そして先生の指示通りに叩いてと言われた様だけどその意味がわからない😅
だって、家には物心ついた頃からカスタネットがあって好き勝手にカタカタ鳴らしていたんです。「えっ?勝手に叩いたらダメなの?どうして?わからないよー」と軽いパニックです。その頃の音楽の時間は、苦痛だったはずです。
ある日の集合日からベートーベンの「トルコマーチ」の合奏の練習が始まり、私は多分カスタネットかタンバリンかをやっていたと思います。相変わらず言われた通りに出来ない日々です。ある日の合奏の時間、先生が私に「こっちに来なさい」と連れていかれたのは、シンバルの前でした。つまりたくさんの子とやる楽器からシンバルに変えられてしまったのです。本当にショックで、でも先生が怖くて拒否出来ないわけです。嫌々「お猿さん=シンバル」をやりました。
多分こんな感じだったと思います。
父兄の前で発表する日もありました。
使い始めたばかりのソフトを使って音を打ち込んでみました。下手でごめんなさい。
今思えば「美味しい」ところなのですが、
本当に大嫌いでした。カスタネットなどがちゃんと出来ないからシンバルに回されたと思い込んで劣等感もありました。シンバルなんてかっこ悪いとしか感じません。
就職するぐらいまでシンバルアレルギーでした。
それから1年経った年長組の合奏の楽器を決める日。実は、前の年の年長組の合奏を見た時にやりたい楽器を見つけていたのです。
年中組の時は、シンバルやらされたけどもうそんなヘマはしない!と1年ずっと思い続けていた楽器に立候補(笑)決まりました。
それは、何とコレです↓↓↓
小さい写真の「木魚」
(画像は、お借りしました)
今の時代なら大きな画像のウッドブロックなんでしょうが、私の時は木魚を使いました。
実は本音を言えば第一希望は、木琴です。
でも木琴は、すでにピアノを習っている子達が取ってしまうので、まだピアノを習っていない私には回って来ないのです。だから第二希望の木魚を1年前から狙ってたんです。
もうルンルン🎶同じ楽器の子達と一緒にポコポコ鳴らしていました。音感を1年以上、生活団と家でやった成果でスムーズに練習が進みました。
曲は、「クシコスポスト」
再びソフトに打ち込んだものを。
実際の木魚は、もっと響きのあるいい音です。(まだまだ技術がなく伸び代だらけです)
年中組に入った頃は、リズムの意味も感覚もわからなかったのですが、器用じゃない私でも少しずつの訓練で身についていくんだなとブログを書きながら改めて感じます。
長文になりました。
読んで頂きありがとうございました。
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